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sigmaの日記

日々思ったことをつらつらと書きます。

しんがりとトップ

しんがりを務めることと、トップを務めることはどちらが好きですか(自問)?

 どのような集団のなかでトップであり続けるか、ということによって変わることですが、一般に、トップをキープし続けることには努力が必要だと考えられます。さらに言えば、そのような努力を払い続けても、他に優秀な人が現れて、いつの間にか自分は二番手三番手、と落ちてゆくことが予想されるでしょう。だからはじめからしんがりを務めることにすれば、トップから転落するということはありません。しかし、このような逃避的な思考でしんがりを務めても良いことがあるとは思えません。それならば、たとえランキングからこぼれ落ちるようになったとしても、トップを目指したほうが良いでしょう。結果として、トップを取れなかったり、トップから転落しても、トップを取るために払った努力が、自らの糧となるからです。

 さて、ここまで考えてみて、「あえて」しんがりを務めることの意義は何でしょう。初めからトップを取ろうとせず、あえて、みんなのあとからついて行っている。そのような人は、一見、トップを目指すための努力を放棄した、怠惰な人間として見えるかもしれません。しかしながら、そのような人は、みんなが取りこぼしたもの、見向きもしなかったものに目を向けることができる人でしょう。トップを目指す人は自らの道を切り拓いていく力のある人です。トップランナーが切り拓いた道を大勢の人たちが通過してゆくわけですが、あえてしんがりを務めている人は、トップランナーやそれに追従するもの、みんなが道を通ったあとで、彼らが見逃した、つまらない、ささいなことに目を向けられる人です。みんなが、つまらないと思ったものですから、わざわざそれに目を留めて、拾い上げてもほとんどはゴミでしょう。しかし、たまに、ごくまれに、見方を変えてみたら宝石の原石が転がっていることがあるかもしれません。もしそうなれば、しんがりだった人は、一気にトップの座に上り詰めることになるのです。こう考えると、実は、トップを走る人と、あえてしんがりを行く人との差は、本質的にはありません。どちらも、自分で道を切り拓く能力のある人です。実のところ、もっとも凡庸でつまらないのは、トップでもしんがりでもない、行先もわからずただ前の人についていく人たちです。

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